優しく在るためには

別に病んだ訳では無いですが、ちょっと最近色々流れが悪くて、

文章化することでなにか見えないかなと思い、
気が向く時につらつら書くことにします。

(病んだらここに戻ってくる訳でも無い笑)




優しく在りたい、っていうことは昔から思っていて、


この「在る」ってのは、なんで「なる」じゃないの?って感じかもしれませんが、

私個人の思いとして、「なる」というニュアンスは、今はそうじゃなくて(明確な壁というか、越えなきゃならないものがあって)それに向かってなんとかして「なる」(=超えられなければなれないかもしれない)

というような印象があって


それに対して、「在る」は、
もうそう思った瞬間からそうなっている、というか、
無理に「なろう」としなくても、もうそう「在る」のだから、あとは自信もって行動してごらん、
って思いやすいので、

この「在る」という表現を好みます。




話逸れましたが、優しく在る、これは「誰に対しても」優しく、とは正直思っていません。

全ての人に平等に接するなんて土台無理だし、
できる人はいるかもしれませんが少なくとも私にそのキャパはない。

何より、なんというか、自分にとって本当に大切な人に対して、1番優しく居たいのです。

依怙贔屓上等よ。



八方美人は美しいけれど、自分の大切な人が本当に困っている時に、
他を犠牲にしてでもその人の味方をできるか?

って思うと、私は、
八方美人よりも、自分の大切な人達にとって優しい人で在りたい、と思うのです。


その過程で誰かに嫌われたとしても、
まぁしゃーなしかな、と。





この数年で変わったことがあるとすれば、
自分が、自分で思っていたよりもずっと「完璧主義」であった、ということに気づいて、

まあいいか、と、"完璧"じゃなくても許容できるようになったことですかね。



ここで""が付いたのは、
自分にとっては別に完璧主義の自覚はさしてない
からです。

別に完璧であろうと意識して行動してたなんてことは全くなくて、

ただ、行き詰まって、フラストレーション溜まって
よくよく振り返ってみると、
「まあこんなもんだろ」
って妥協出来りゃもっとストレスなくすんなり行けたろうに…

っていうようなことが、割とあったからです。


この具体例は、
・自分の決めた目標(理想)をクリア出来なくて
(=理想が高い≒完璧主義)

ってケースと、

・誰かからの期待に100応えられなくて
(=完璧主義、もしくは不安感、もしくはちんけなプライドによるもの)

があったりするのでは無いかと思いました。



※あくまで思ったことをつらつら書いてるだけなので、読み進めても別に明確な結論は出てこないので、悪しからず。



昨日のわたしよりも、今日のわたしがちょっとだけやさしい人間であればいいなと思いながら生きています

去年、いやもう一昨年か?青ブタのアニメが結構良くて、そのなかでもこのセリフはとてもいいなと思いました。


今の自分が、自分の理想通りじゃなくて、
もっとこうなりたい、こう在りたいってのはあって、

※ここは完璧主義とは別。この思いも無くしたら改善も向上もない人になってしまう

昨日よりも今日が、ちょっとでいいから、
優しく在れたらってことは、ずっと思っている。


その為に何をするか。



やっぱり、まずは、周りの人の言葉をよく聞いてみることですよね。

いやほんと、基本中の基本なんだけど、

ちゃんと出来てるか?って言うと、

出来てないです。。

どうしても自分の言葉が先行してしまう。


これはきっともうずーーーっと、昔からそう。


一人っ子だからとか、キャパが小さいから吐き出さないと上手くやれないとか、

理由はあるんだろうけど、

そんなことは「話している相手には」関係ないことで。

どんな事情があったにせよ、
その場でどんな応答をしたのか
これが基本的には全てなんですよね。

相手はこっちの事情なんて知らないし。
(親しい人なら察してくださるかもしれませんが、それをはなからあてにした応答は、コミュニケーションとしていくらなんでも傲慢かと。)
(本当にしんどくて心折れそうな時とかそういう緊急事態は別。折れる前に他人を頼ってください)




自分のキャパが限界の時、
それでもコミュニケーションをとる必要があるとき、

そういうストレスフルな状況下でどう上手く応答するか。

・別のどこかで吐き出す(ストレス解消)
・コミュニケーションを最低限に控え、相手への被害(←言い回し…)を小さくする
・「まあこんなもんだろ」理論でストレス自体をなかったことにする

2つ目は、ストレスに関してはなにも解決してないですね。

3つ目は、一見良さそうだけど、その代償として、上手くやることを諦める≒成果が出ず評価が下がる ことを受け入れる、ある種の強さも必要よね。



つらつら書いてて思ったけど、

そういうキャパ限界の時にコミュニケーションを上手くやろうとすること自体、完璧主義なのでは?

…うーん、そうとも言えるな…。


ただ、そうすると、

・キャパ限界じゃない時っていつよ(ここのところずっと忙しいよぅ…)
・優しく在りたい、んだけど、そこもある程度諦めなきゃならんのかね




まあ、聖人君子じゃないから、いつでもどこでも優しいは無理か。
んでも、大事な人には優しく在り続けたいから、
そこはあれか、底力の見せどころか。



○キャパ限界の時間をなるべく少なくする
→適度に手を抜く
→上手くストレス解消する

○ちょっとずつでいいので、優しく在れるように
→聞き手に徹する
→相手の意見を肯定した上で、自分が補えることがあれば、言葉にしてみる



自分のことなんて別に嫌いで良いんだよ、僕はまあこんなもんだろうって思いながら生きてる。

これも青ブタの台詞。
これは結構刺さったなぁ。

青ブタの何が好きかって、ストーリーもいいんだけど、主人公の人間性が好きなんだよね。

スカしてるって意見もあるけど、私はこういう人好きですわ。







くそ長く独り言を書いたらなんかスッキリした。
これも結構ストレス解消効果あるかも?
少なくとも思考の整理にはなりそうやね。