ぼうれいのことば

音楽にはとても力がある。

 

こころを揺さぶるという意味で。

 

 

久しぶりにライブハウスに来た。

 

やっぱりすごいや、音楽の力って。そしてそれを演じる人の力って。

 

 

なんかすごくこころが揺さぶられて、

 

深いところの思いがふるい起こされる。

 

 

日頃から内向きなマイナスなベクトルで生きてる私には、

 

どうしてもそっちの方が出てきてしまう。

 

あぁ、

 

なんでこんな、幸せな空間で、

 

笑顔があふれた空間で、

 

 

そんなことしか考えられないのだろうか。

 

 

 

自分は、異物だ。

ここにいるべきではないもの。

 

 

 

 

 

笑顔、が好きだった。

 

同性でも異性でも。

 

友達でも両親でも恋人でも。

 

 

なんだか、自分も笑顔になれて。

 

 

理由はわからないけど、こころが暖かくなって、好きだった。

 

 

 

いまはなんだか、苦しい(笑)

 

 

こんな幸せな、笑顔があふれた空間に、

 

 

こんなのが居てしまって申し訳ない。

 

 

 

 

 

居ていいんだよ、なんで誰も言わないのは分かってる。

 

いるとしたら自分だけ。

 

自分で自分を赦すしかない。

 

そして、まだその勇気が持てないんだ。

 

 

 

許したら、またつけあがって、

 

誰かを傷つけてしまうのがこわくて。

 

 

自分の罪を許す勇気が持てない。

 

 

だから今はまだ、

 

結局自分のことしか考えられなかった、

 

大切だったはずの人のこと、少しも思いやれなかった、

 

 

自分を、赦す気はない。

 

 

だから、やはり私は一人で居るべきだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、ここに、もう一度来たかったのも事実。

 

 

ごめんね、これが最後のわがままだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふと、そこに、二年前の自分がいるような気がした。

 

まだ、ずっと純粋だった自分が。

 

 

 

まだ、純粋に、音を楽しめていた自分が。

 

 

 

もしも平行世界なんてものが本当にあるなら、

 

こんなところにたどり着いちゃダメだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつも、今ではないトキを生きている気がする。

 

全力で頑張っているようなときも、

今ではない何時かのため、

 

頑張っていたような気がする。

 

そうやって、生きてきたような気がする。

 

 

 

 

そういえば、小学か中学の頃、

 

書き初め大会で、「一瞬を生きる」

 

と書いた記憶がある。

 

好きだったプロ野球選手の言葉だったかな。

 

 

 

あぁ、子供ごころにわかっていたんだな。

 

そんな昔から、私は、

 

 

一瞬を、今を生きていなかったんだ。

 

 

 

 

 

今ここにあるみんなの笑顔が、

どうか明日も続きますように。

 

 

 

 

Solitude 3

最近、周りのことから影響を受け過ぎると思う。

 

 

勇気づけられる小説読んで元気になったかと思えば、

 

曲を一曲聴いただけで、いや、ウォークマンの小さな画面でジャケットの画像を見るだけで、泣きそうになったり。

 

書いてた記事が少し消えただけで、イラッとして、サービス提供してくれてるCAさんに素っ気なくしてしまったり。

 

 

そう、いま空の上なのです(執筆時)。

偶然にも、北海道で被災いたしまして。

 

 


地震後のホテル暮らし中、
歩き回って情報収集したり、
ほんのちょっとした人助けしたり、
そういうときは、アドレナリン出てるからかもしれないけど、全然苦しくない。

 

 

やっと新潟帰れるってなって、飛行機乗ってるときに、不意に、暗い方に思考回路回っちゃって、一番つらくなるって、どうなのよ笑

 

 

いや、べつにいいのよ、つらいのは。

 

 

これからも、もっと傷つくだろうし、
もっと苦しむだろうし。

それは受け入れてる。

 

人生そういうもんだって、変な期待はもうしてない。

 

自分の罪も、背負っていく覚悟はある。

 


ただ、それでも、

自分のことをないがしろにして、

ただ他人のためだけに生きること、

それも、逃げだって、昔買った本を改めて読み直して、学んだ。

 

 

自分は自分のためにしか生きられない。そう理解していたつもりだった。だけど時に都合よく『誰かのため』に縋っていた。言い訳にしていた、と表現してもいい。

 

誰かのためは楽なんだよね。

 

だって一番難しい『目標』を決めることは、進む方向を決めることは、誰かに任せられるんだ。

 

誰かのためと言いながら、結局やっていたのは、自分で選び取ることの放棄……。

 

自分が生きているのは、自分の、自分だけの人生なのに。

 

「だから自分から、求めなきゃいけない」

 

相手の都合だけを考えたら上手くいかないのは自明だが、全く無視するわけにはいかない。

 

「けれど最後は、自分で決めるしかない」

 

 

from ココロコネクト/庵田定夏

 

ライトノベルも、侮るべからず。

 

特にこのシリーズは、人々のこころの奥底を描くシリーズだから、時に参考になることも多くある。

 

誰かのために、と自己犠牲を繰り返していた主人公、八重樫太一。

彼は自身の自己犠牲の動機は、「誰かの痛みは、見ていると、どんどん想像が広がって、痛くて、苦しくて。なら、自分で味わったほうが、この程度ってわかるから楽なんだ」(確かこんな感じ)というように、自分のためとである認めていた。しかし、奥底にあったのは、

 

『自分がない』

 

という、こころを、隠すためだった。

 

そのことに気づけた彼の姿から、感じるものがあった。

 

 

 

 

私も、誰かのために生きようと思っていた。

 

自分に価値を見いだせず、好きになろうともできず、

 

悲観的100%だった。

 

けれど、

 

それすらも、逃げなんだなって、思った。

 

 

 

もう誰も、傷つけたくない。

私はきっと、これからも、誰かを傷つけてしまう。そんなこと、望んでいないのに。

だから、そうであるならば、

私は独りでいるべきだ。

 

 

 

この思いは、正直今でも持っている。

 

 

けれど、

 

だからといって、

 

すべてに絶望して、

 

自分の責任から逃げて、

 

自分の人生から、

逃げることは、したくない。

 

すねないで、ムキにならないで、

冷静に、逃げずに、考えて、

悲しみに負けないで、

 

本当の優しさって、

本当の思いやりって、

 

それを考えて、

 

 

 

苦しみながら、

 

 

 

 

進んでいきたい。

 

 

 

とりあえず、

 

独りを、一人と思えるように。

 

 


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Solitude 2

夜、帰り道。

 


二人で歩く男女を見つけ、自然と幸せをねがった。

 

そしてふと、あの女の子があの人ならいいのに、あの人も、幸せになってくれたら、という思いが浮かんだ。


僻みとか、羨みとか、そんなのなくて、純粋な、幸せを祈る気持ちで。

 

最近は、ずっとこんな感じ。

 

 

 

 


でも、そのとき、もしかしたら、あの人も同じようなことを思っていたのかもしれないと、感じた。


あの人が言っていた、幸せになってほしい、早く誰かとくっついてほしい、という言葉。


最初聞いたときは、早く罪悪感から逃れたいだけなんじゃないのか、なんて、そんな風にしか思えなかったけど。

 

 

本当に、純粋にそう思っていてくれたのだとしたら。

 

 

その言葉を、踏みにじった私は。

 

 

 

Solitude 1

結局は、人は、自分を大切にできないと、苦しいんだよ。
誰かから責められたり傷つけられるのはくるしい。それが自分からであっても、同じであるように。

 

 

ただ、今の私は自分を大切に、愛してあげることができない。
こんな、自分のことしか考えられず、思いやりのない、誰かを傷つけることしかできない私を、わたしは愛せない。

 

 

でも、くるしい。自分を愛せないとくるしい。そういうものなんだと思う。人って。

 

 

だから、そういう人に、思いやりをもてる人に、自分も誰かも一緒に大切にできる人に、私はなりたい。

 

 

そうじゃないと、くるしいから。

 

 

 

 

くるしいから、そうする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほら、結局、自分のことだけ。

 

ほんとうの自己中とは

だいぶこころはぐっちゃぐちゃなわけですが、

 

最近は、

 

 

自己嫌悪して、

俺が全部悪いんだ、

最低だ、

クズだ、

他の人と関わる資格無い、

独りで生きていくべきだ、

 

 

なんて思うことって、

 

 

なんと自己中なことなのだろう、

 

と思っています。

 

 

私は一人で生きてきたわけじゃない。

 

両親に育てられ、

友人に支えられ、

先生に教えられ、

先輩に誉められ、

後輩に慕われて、

生きてきた。

 

 

今ある自分はそういった人間関係の中で生まれた私で、

 

その私を否定してしまうことは、

 

今まで関わってくれた人たちをも、

否定することになってしまう。

 

それに、そんな風に自分を責め、

鬱々としている私をみて、

 

みんなはどう思うのか。

 

 

それを考えずに、

 

下を向いて生きていくことこそ、

 

この上ない自己中なのだと、今は思います。

 

 

 

 

 

ただ、どうしても落ち込んでしまうときはあるから。

 

打たれ強くなりたいし、

 

 

また、自分が苦しいときこそ、

 

他の人の苦しみにも気づける、思いやれる人に、

 

私はなる。

 

 

 

 

 

追伸

 

こころ移りがよくわかるこのブログ、

今となれば消したい記事もあります。

(あまりにも周りが見えてなかったものは非公開にしましたが。)

ただ、そのとき私がどう思って"今"を生きていたのか、

忘れないためのブログでもあるので、

消しません。

私以外の誰の役にも立たないブログだけど。

まぁそれゆえどこにもURL貼ってないので。

苦しいのは私だけじゃない。

 

私が一番苦しい訳じゃない。

 

あの人だって苦しいし、

 

他のみんなだって苦しんでる。

 

 

 

 

それをわからずに、自分の苦しみだけを訴え、

 

自分の苦しみだけをわかってもらおうとしている私に、

 

ひとと関わる資格はない。

 

 

自分に嘘をつかない、とは

私にはとてもいい、大切な友人が居て、

 

その人に先日相談に乗ってもらったとき、

 

『あんまりにも気を遣われて、

 

相手がどうしたいんだろう

 

って先回りして考えられてしまうと

 

上辺の関係ならいい人だけど、

 

親密な関係なら、

 

本音が見えなくなってしまう。

 

もっと自分出して、

 

相手が幸せになるには…ではなく、

 

相手と自分が幸せになるには

 

って考えて欲しい。』

 

という言葉をもらった。

 

なるほどなぁ。

 

特に深く考えているわけではなくて、

条件反射のように、相手がどうしたいのかなとか考えてしまうところがあるんだけど、

 

 

近しい関係では、そういうように見えるのか。

 

そういう観点が足りてなかった。

 

条件反射が出る理由としては、いつの間にか染み付いた、嫌われたくないっていう思いからなんだと思うんだけど、

 

本を読んだり、他の人と関わったりで、

今はあんまり思ってない。

 

本の中に出てきた、アドラー心理学の、課題の分離っていう観点は、目から鱗だった。

 

 

 

 

 

 

少しずつ、自分を変えようとしている身にとっては、自分を客観的に、外から見るとどうなのかって知ることも大事だと思っているから、その友達の言葉はとっても嬉しかった。

 

ちゃんと私のこと考えて、そういうアドバイスをくれる友人。そんな人に出会えたこと、本当に嬉しい。感謝しています。

 

昔は、自分をさらけ出すことをおそれて、迷惑をかけることを嫌って、嫌われることを怖がって、

 

相談したりとかもできてなかったんだけど、

 

いいんだよね、いっぱい相談して。

いっぱいさらけ出して、いっぱい迷惑かけて。

 

それくらいで壊れる関係なんて、そこまで大切にできてなかった関係だから。

 

いつか、その人が困っていたとき、

恩返しなんて立派なことはできないけど、いっぱい相談に乗って、少しでも力になるために頑張るから。

 

 

 

 

 

 

 

 

他にも、

 

私が、自分の気持ちを消そうとしているって言ったら、

 

 

 

『消さなくていいんじゃない?そんな簡単に消すことなんてできなくない?』

 

って。

 

簡単には消えてくれないけど、消さなくていい、かぁ…。

 

 

 

 

 

友達に戻りたいって言われて、苦しかったけど受け入れた。

それがあの人の望みなのであればって、努力してきた。あんまり上手くいってないけど。

 

 

どちらかに気持ちが残っている限り、ちゃんと友達関係にはなれないから。

 

 

でも、気持ちが残ってもいいって、もしそうであっていいなら、こころすなおにいれるなら、楽だけど、でも、

 

また、

 

 

会いたくなってしまうよ。

 

 

 

そう思うくらい、じゆうかな。

 

わかんなくなってきた(笑)

 

 

 

 

 

 

また、なにか見えるかもって思って、

今日は映画を見ています。

 

ボクの妻と結婚してください。

 

という映画。わくわく。