Solitude 3
最近、周りのことから影響を受け過ぎると思う。
勇気づけられる小説読んで元気になったかと思えば、
曲を一曲聴いただけで、いや、ウォークマンの小さな画面でジャケットの画像を見るだけで、泣きそうになったり。
書いてた記事が少し消えただけで、イラッとして、サービス提供してくれてるCAさんに素っ気なくしてしまったり。
そう、いま空の上なのです(執筆時)。
偶然にも、北海道で被災いたしまして。
地震後のホテル暮らし中、
歩き回って情報収集したり、
ほんのちょっとした人助けしたり、
そういうときは、アドレナリン出てるからかもしれないけど、全然苦しくない。
やっと新潟帰れるってなって、飛行機乗ってるときに、不意に、暗い方に思考回路回っちゃって、一番つらくなるって、どうなのよ笑
いや、べつにいいのよ、つらいのは。
これからも、もっと傷つくだろうし、
もっと苦しむだろうし。
それは受け入れてる。
人生そういうもんだって、変な期待はもうしてない。
自分の罪も、背負っていく覚悟はある。
ただ、それでも、
自分のことをないがしろにして、
ただ他人のためだけに生きること、
それも、逃げだって、昔買った本を改めて読み直して、学んだ。
自分は自分のためにしか生きられない。そう理解していたつもりだった。だけど時に都合よく『誰かのため』に縋っていた。言い訳にしていた、と表現してもいい。
誰かのためは楽なんだよね。
だって一番難しい『目標』を決めることは、進む方向を決めることは、誰かに任せられるんだ。
誰かのためと言いながら、結局やっていたのは、自分で選び取ることの放棄……。
自分が生きているのは、自分の、自分だけの人生なのに。
「だから自分から、求めなきゃいけない」
相手の都合だけを考えたら上手くいかないのは自明だが、全く無視するわけにはいかない。
「けれど最後は、自分で決めるしかない」
ライトノベルも、侮るべからず。
特にこのシリーズは、人々のこころの奥底を描くシリーズだから、時に参考になることも多くある。
誰かのために、と自己犠牲を繰り返していた主人公、八重樫太一。
彼は自身の自己犠牲の動機は、「誰かの痛みは、見ていると、どんどん想像が広がって、痛くて、苦しくて。なら、自分で味わったほうが、この程度ってわかるから楽なんだ」(確かこんな感じ)というように、自分のためとである認めていた。しかし、奥底にあったのは、
『自分がない』
という、こころを、隠すためだった。
そのことに気づけた彼の姿から、感じるものがあった。
私も、誰かのために生きようと思っていた。
自分に価値を見いだせず、好きになろうともできず、
悲観的100%だった。
けれど、
それすらも、逃げなんだなって、思った。
もう誰も、傷つけたくない。
私はきっと、これからも、誰かを傷つけてしまう。そんなこと、望んでいないのに。
だから、そうであるならば、
私は独りでいるべきだ。
この思いは、正直今でも持っている。
けれど、
だからといって、
すべてに絶望して、
自分の責任から逃げて、
自分の人生から、
逃げることは、したくない。
すねないで、ムキにならないで、
冷静に、逃げずに、考えて、
悲しみに負けないで、
本当の優しさって、
本当の思いやりって、
それを考えて、
苦しみながら、
進んでいきたい。
とりあえず、
独りを、一人と思えるように。